日笠宣子

監督名日笠宣子
ふりがなひがさ のりこ
ご紹介1964年早稲田大学卒業。同年、㈱電通映画社(現電通テック)入社。
企画演出部に所属して、PR映画、記録映画、教育映画などの脚本からスタート。入社3年目に自らの脚本で㈱東洋陶器の新入社員募集用映画『若い芽』を初演出。その後、38年間に亘り監督・脚本作品を多数。
1993年より企画演出部長、スタッフ・マネージメント室部長を歴任して、2001年に同社を定年退職。以降、フリーランスの監督となる。

【PR・VP・イベント映像】
1976年 『ぶどうの四季—いいワインづくりのためにー』(メルシャンワイン)—監督・脚本—
1978年 『This year we went to Japan』(国際観光振興会)—監督・脚本—
1979年 『リキテックス〜そのさまざまな表現〜』(Too.)—監督・脚本—
1979年 『みずみずしく生きるー主婦の体力づくりー』(明治生命)—監督・脚本—
1981年 『ニートな全身—Issei Miyake It`s so neat—』(資生堂)監督・脚本—
1983年 『人へ心へ』(ネスレ日本)
1985年 『21世紀へ乾杯!』(キリンビール)—監督・脚本—
1985年 『真珠—その美を創る人々—』(真珠輸出組合)—監督・脚本—
1983年 『伝える〜すべての生きるものたちへ〜』(日本電気)—脚本・監督補佐—
1987年 『工芸〜作家とその世界〜』(サチ)—監督・脚本—
1988年 『走る貴婦人の旅』(日立製作所)—監督・脚本—
1989年 『まっすぐ人の心へ』(川崎製鉄)—監督・脚本—
1990年 『山の手の顔』『川の手の顔』−25面マルチ映像×2−(東京都)
1992年 IMAX映画『生きものたちの季節(とき)』(中部電力)—監督・脚本—
1993年 『THE WELCOME』(長野冬季オリンピック招致委員会)—監督・脚本—
1994年 アストロビジョン『手塚治虫地球劇場 しらぬい』(アストロビジョン制作共同体)—監督・脚本—
1995年 サークルビジョン『風になった日〜少年とサラブレッドの物語〜』(JRA)—監督・脚本—
1996年 ライドシュミレーション映像『夢の果てまでも』(石巻・帆船ミュージアム)—企画・演出統括—
1997年 『札幌ウィンタースポーツミュージアム 展示映像』—企画・演出統括—
2001年 鈴木忠志舞台演出記録『エレクトラ』『オイディプス王』『ディオニュソス』(静岡県舞台芸術センター)—構成・編集—
2002年 鈴木忠志舞台演出記録『ラネーフスカヤ』『イワーノフ』『ワーニャおじさん』(静岡県舞台芸術センター)—構成・編集—
2003年 鈴木忠志舞台演出記録『リア王』(静岡県舞台芸術センター)—構成・編集—
2008年 『もやもや病の症状—その理解のためにー』(難病の子ども支援全国ネットワーク)—監督・脚本—
2010年 『著作権って何?』『著作権の目的』(青少年教育振興機構)—監督・脚本—
2010年 鈴木忠志舞台演出記録『King Lear−4カ国版—』(SCOT)—構成・編集—
他多数

【受賞歴】
1978年 『This year we went to Japan』☆アナハイム観光映画祭 外国政府製作部門第一位
1979年 『みずみずしく生きる』☆第19回産業映画コンクール 奨励賞
1985年 『真珠—その美を創る人々—』☆第23回日本産業映画・ビデオ祭 奨励賞
1985年 『伝える〜すべての生きるものたちへ〜』☆第25回日本産業映画・ビデオ祭 郵政大臣賞 ☆`85科学技術映画祭 科学技術長官賞
1987年 『工芸~作家とその世界~』☆第33回日本紹介映画コンクール 金賞/外務大臣賞/アサヒイブニング賞/ジャパンタイムズ賞  
1991年 『山の手の顔』『川の手の顔』☆AVAマルチメディアグランプリ 産業応用賞

【脚本】
1971年 『現代日本の女性』(外務省)長井博監督—電通映画社—
1995年 『蟻が翔んだ』(九州電力)玉井洋一監督—電通映画社—

会員区分物故会員
生年月日1941年12月02日
出身地神奈川県 茅ヶ崎市
目次